もろ市場の倫理 統治の倫理チックな話。この本に言及するのは2回目。市場に任せないと駄目だって意見と、市場主義を推し進めると破綻する(あるいは弱者にしわ寄せが行く)、やっぱり政府がなんとかしろって意見が、両方必ず出る。ジェイン・ジェイコブス「市場の倫理 統治の倫理」はこれらの対立する2つの役割、市場と政府の整理を試みた本。
非常にアバウトで感覚的な話をするけど。計画経済、経済活動の結果そのものをデザインする社会は色んな意味で成立しないことが示されてしまった。共産主義諸国の壮大な実験によって。市場経済は、計画経済と並行している間は無敵に見えた。なんたって、常に改善圧力が働いていて、変動があるとすぐにフィードバックが働く世界だから、最初はそんなに差がつかなくても、年月を重ねたらその差は歴然だった。でも世界は市場経済の欠点に気づきつつある*1。人間のために市場があるのか、市場のために生きているのか分からなくなってしまう。でもこんな変化の早い時代に直接何かを定めて(連想元の言葉では「基準」)それを守らせようとするのは時代遅れだ。それこそ共産主義がそうだったように、様々な不合理や非効率性を温存してしまうから。じゃあ、どうする?
市場メカニズムは(たぶん)素晴らしい。常にフィードバックが効いて常に変化している、緩く拘束されたシステムだ。でも市場メカニズムがすばらしいものだったとしても、外部経済、市場に(未だ)組み込まれていない問題には市場の力は及ばない。こういったものは数多くあるし、常に発生している。社会が複雑化すればするほど発生するタイプの問題だ。未来の政府の仕事は、そういったものを直接コントロールするのではなく、問題を発見して、必要度を計測し、必要なら市場に組み込み、市場に乗せて、常に改善の力が及ぶようにすることじゃないか。炭素市場が(たぶんこれから)そうなるように。会話くんは、その世界をインセンティブ設計経済と呼んでいる。