乙女回路は砕けないッ! このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-07-08

うち、童貞あかんねん 02:52 うち、童貞あかんねん - 乙女回路は砕けないッ! を含むブックマーク はてなブックマーク - うち、童貞あかんねん - 乙女回路は砕けないッ! うち、童貞あかんねん - 乙女回路は砕けないッ! のブックマークコメント


本日は全く違う内容のエントリを書こうとしていたのですが、内容忘れちゃいました、てへ。そういうわけで、僕の大好きな童貞関連の話題について書いてみようかと思います。


増田でも書いていた方がおりましたが、僕も知り合いに「童貞とは付き合えない」と言われた人がいます。その人は大学に入り合コンに初めて参加して、無事、女の子と良い感じになりました。そして、さあ、お付き合いしましょうかという段階に至ったとき、「自分は今まで女の子と付き合ったことがないんだ」と話をしたそうなのですが、そこでお相手の女性態度が急変し「あ、ごめん、うち童貞あかんねん。無理。ははは。無理無理」とフラれてしまったそうです。やけにリアルセリフですが、聞いた話ですよ、本当ですよ。


他にも、僕のマイミクに唯一存在する女性はある日のエントリーに「女遊びを一回もしたことがない男とは付き合えない」という旨をはっきりと書いておられました。そのほかにも、この手のお話を僕は結構聞きます。


童貞の僕からすると、大変胸のあたりチクチクとするお話なのですが、理解できなくはありません。その方たちにとって、恋愛ゲームでありスポーツであるのです。対戦相手は、同じくらいのレベルの相手でないと面白くない。大会開催前に選抜を行うことは当たり前でしょう。そのことには同意します。


問題は、世の中には恋愛ゲームだと思っていない人間がいるということです。命とは言わないまでも、もっと重たいもの(とその人間が感ずるもの)を賭けてその行為に参加している人間もいる。同じ行為を共にしていても、その行為とは何なのかの共有がなされていないことがあるわけです。僕が心を痛めるのは、この悲劇です。行為のルールの共有がなされていないのに、行為自体が始まってしまう悲劇です。ある人間達がある行為をしているとしましょう。一方の側は戦争だと思ってその行為をしている。そちら側の人間が、一人、敵を銃殺したとしましょう。とても精神的に大きな負荷をかけ、しかし覚悟をし、人を一人殺したとその人間は思っている。しかし、殺された側の人間はそれを戦争だと思っていない。自分は死んだなんてこれっぽちも思っていない。そもそも、それは「銃弾ではない」のです。それで死ぬような法則の中に、その人間はいない。だから、むくり、と死体は起き上がり、楽しそうに笑いながら、「戦争に参加している人間」に銃弾を一方的に浴びせる。戦争などとは認識していないし、銃弾なんかでないのだから、まったく精神的にコストもかかりません。こうして、一方的な、本当に一方的な、「殺戮」が行われます。


何が恋だとか、何が愛だとか、それは各人が勝手に思い考えていれば良いことです。そんなものに真実などはありません。ある必要もありません。ただ、恋も愛も必ず「相手」がいます。そこにおいては、やはり、行為のルール共有について考えたほうが良いのではないでしょうか。ルールの共有ができる相手なのか、もっと簡単に言えば世界観が同じなのか、ということです。そうでないと、「殺戮」が起こってしまう。殺戮された側は、本当に実質的な意味での死を選ぶ場合もある。そして、殺してしまった側も「そんなつもりではなかったのに」となる。まぁ、そんな共有が簡単にできれば、苦労しないのですけれど。共有とはいかないまでも、自分のものとは違うルール想像し、気をつかってあげることはできないものなのでしょうか。